Sample 1


脳損傷の結果、恐怖を知らない女性
44歳のSMさんは、恐怖というものを知らない。へびも平気で掴めば、 『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』『シャイニング 『アラクノフォビア』等ホラー映画も怖くない。お化け屋敷を訪ねれば、お化けの方が逆に恐怖に負けた。
SMさんは決して血も凍るような精神異常者ではないし、感情を表に表さない正義の味方でもない。彼女は、普通の3人の子供の母親だが、遺伝子学上珍しい病気の結果、アミグダラ(扁桃核)と呼ばれる脳構造の一部がダメージを受け、特定の心理的損傷を持ち合わせているのだ。
研究者によると、人間が脅かされた状況で恐怖を感じるのには、このアミグダラの働きが鍵を握っている事が、彼女の症例からも分かるそうだ。
又、恐怖心なしに生きるのは危険が伴うのも、彼女の例から分かる、と言っている。
彼女の症例は、アイオワ大学研究者ジャスティンフェインスタイン氏と同僚によって、オンラインジャーナル「カレントバイオロジー」に発表された。例に漏れず、論文は彼女をSMさんとしか特定せず、研究所規約の守秘義務を理由に、AP社の彼女へのインタビュー依頼にも、同意しなかった。
今回の研究に携わっていない専門家は、自身が行った同様の研究では、今回取り上げられているような損傷は見られないので、アミグダラに関して結論を出すのは尚早と注意を喚起しているが、別の専門家は、新説は筋が通っているとの見解を述べている。
SMさんは、20年以上に渡って研究対象になっているが、その間、数々の恐怖に対する異常性が、論文で発表されてきた。例えば、表情に恐怖を認識できない等である。1995年に発表された実験では、画面に青い四角が映るたびに、思い切り大きな音を鳴らした。普通の人は、音が引き金になって、青い四角を見ると恐怖心が沸くが、彼女の場合には、それは見当たらなかった。他の研究では、彼女の学力、記憶、言語も普通と判定され、恐怖以外の感情も確かめられているし、自活も成り立っている。
SMさんは、子供の時に、唸るドーベルマンに角に追い詰められて怖がった経験を覚えているが、研究者は、それは病気で脳の左右からアミグダラが完全に消去した以前の事だろうと推測する。
大人になってからは、明らかに恐怖というものは感じていない。15年前に公園で男がベンチから立ち上がり、彼女の喉にナイフを突きつけ、「切ってやる」と言ってもだ。SMさんは、遠くで教会の合唱隊が練習するのが聞こえ、男に向かって「私を殺すならまず神の天使たちをまかしてから」と冷静に答えたと言う。
男は突然SMさんを離し、彼女は慌てることなく歩いて帰った。フェインスタイン氏は、彼女の落ち着き払った態度が、逆に男を慌てさせたのかも知れない、と語った。しかし、彼女が危ない状況に、そもそも陥った原因でもあると説明する。SMさんは夜、一人歩きで、麻薬中毒っぽいと感じたにも係わらず、自ら男に近付いて行ったからである。SMさんはこの他にも、恐怖心に欠けるがために、危ない状況に身を置き、今生きているのが不思議なくらいだと、フェインスタイン氏は付け足す。
論文をジャーナルに投稿するに当たって、研究者は彼女をわざと怖い場面、へび、ホラー映画、お化け屋敷に遭遇させ、その行動を観察し、恐怖心を度数で表すよう指示した。
へびや蜘蛛は嫌いで、なるべく避けると事前に述べたが、ペットショップでの彼女の態度は全くその逆であった。へびを3分以上も自ら進んで手に持ち、うろこや舌を触り、もっと大きく危険なへびを触りたいと希望した。従業員が危険だと忠告した後の事で、さすがにタランチュラを触る前に止められた。
へびの体験について彼女は「すごい!」と、声をあげた。ペット屋での出来事を、1から10までの恐怖度で例えると、最低の2を上回る事はなかった。研究者はさらに彼女をお化け屋敷に連れて行った。論文によると、そこで彼女は、5人の見知らぬ女性が「恐怖の叫び声」を連発する中を歩いて通った。最初からSMさんが「こっちですよ、着いてきて」と先頭をきり、妖怪が脅かそうとしようにも、彼女の方から逆に進んで近付いていき、失敗に終わった。そればかりか、妖怪に化けた役者の頭を突付き驚かせたが、どんな感触か興味があったから、と説明した。
フェインスタイン氏によると、お化け屋敷は、ジェットコースターのような興奮を覚え、非常に楽しかったそうだが、恐怖度はゼロだったと言う。脳と感情を研究するニューヨーク大学のリズフェルプス氏によると、数年前に、似た脳損傷の患者で行った研究の場合、今回のような恐怖心の無さは見られなかった。前回の患者は、健康な人同様に、日常生活において恐怖心を経験した報告がある。また、2例の違いについて、アミグダラに損傷が発生した時点での、双方の脳の発達の差かもしれないと、フェルプス氏は考察する。
この種の脳損傷が恐怖感にどのような影響を与えるかを、サルを使って研究している、カリフォルニア大学、精神医学教授である、デービッドアマラル氏によると、今回の研究結果は今までだいたい分かっていた説を裏付けている、アミグダラは、危険探知機だと言うことだ。